Ruin of the golden witchの紹介
とても素晴らしい二次創作を紹介します。
鳥井角助さんが先日公開されたRuin of the golden witchです。
こちらはEP8以後に出てきた新たな偽書と言う形で書かれています。
あらすじはEP8以降平和なカケラを紡いでいた六軒島に『航海者ヴィアトル』と名乗る人物(?)が現れ六軒島に新たな惨劇を紡ぐ…
非常にうみねこ原作やその周辺の考察をリスペクトされている作品だと思います。
うみねこのフォーマットを踏襲し、惨劇の謎解きを出題しつつ独自の考察を盛り込んで新たな視点を提供しています。
『挑戦状』の章で一応の解答は出されますが、回収されていない伏線が多く別解が出せそうに見えます。
読み物としてもとても面白いものになっていますので、謎に挑むもよし、読み物として楽しむもよしです。
この作品は『Follower of the golden witch Episode 1』と言う位置づけなのでまだまだ続編が出そうです。
ゲームは3つと言っているので少なくともあと2作は出そうです。
解答編もあるのならもっとかも?
とにかくうみねこ愛にあふれる素晴らしい作品ですので是非お楽しみください。
confessionのカケラへの違和感
EP8冒頭では縁寿のためにクイズ大会が開かれます。
譲治と朱志香のクイズでは事後確率変動を通して縁寿にメッセージが送られます。
その内容から「悪意ある情報で大事なものを見失わないでね」と私は読んだのですがいかがでしょうか。
その悪意ある情報ですが、私はEP7のクレアの腸やEP8のconfessionのカケラがそれに当たると考えています。
EP2,3のベアトはとても楽しそうでした。
そのイメージを大事にするのならばconfessionのカケラで示されている出来事はそぐわないものになるからです。
ベアトのイメージとconfession。
2択であるのならば私はベアトのイメージを取りたい。
そうやってconfessionを疑いの目で見てみるとconfessionには違和感を感じる部分が多々あります。
今回はその違和感について挙げていきたいと思います。
・碑文の報酬
confessionでは碑文の報酬は黄金と黄金の隠し方と解説されています。
これは不自然ではないでしょうか?
魔女は賢者を讃え、四つの宝を授けるだろう。
一つは、黄金郷の全ての黄金。
一つは、全ての死者の魂を蘇らせ。
一つは、失った愛すらも蘇らせる。
一つは、魔女を永遠に眠りにつかせよう。
黄金の隠し方として百歩譲って全ての死者…はいいとしましょう。
失った愛すらも蘇らせるとは何?
永遠に眠りにつかせるとは何?
「眠りにつかせる」の言葉の強さに隠れて「永遠」が無視されていませんか?
強引な曲解に思えます。
・犯行計画書
ボトルメールは犯行計画書………。
いやいや、これを犯行計画とは言わないでしょう。
小冊子「我らの告白」ではベアトがゲーム版を書き上げるところが書かれます。
…ものすっごいノリノリでしたよね。
イラストまでつけてましたよね。
犯行計画書に魔女幻想をつける必要ないですよね。
これを死ね死ねいいながら?絶対節をつけて鼻歌歌ってたでしょ?
そもそも犯行計画にイレギュラーとか盛り込むものですかね?
EP1の絵羽のレシートとか。
そこ、犯行に関係ない部分ですよね。物語的には面白いですが。
ボトルメールは罪の告白ともされていますが、そうであるのならばやはり魔女幻想で修飾した謎解きが不要になります。
やはりノリノリで書くものではないのです。
・ラムダの絶対
ゲーム盤が認められてラムダデルタに魔女にしてもらいますが、ラムダの「絶対」とここで紗音が言っている「絶対」は違うものだと思うんです。
ラムダの「絶対」は一つの目的に向かって何が何でも達成する意思を指しているのではないでしょうか?
ああ そういや私
願いを”絶対に”
叶えるために
尽力を惜しまないヤツが
好きなんだった……
鍵を取り戻すためにベルンの囮を買って出るところのセリフです。
これに対して紗音の絶対は目的がかなえられてもかなえられなくてもどうでもいいスタンス。
相反していますね。
こんな彼女にラムダが力を貸すでしょうか?
confession自体には違和感が付きまとうのですが、特に違和感を感じるのは上記の点でしょうか。
以前の記事にも書きましたが、confessionのカケラ自体はボトルメールと偽書が混ざった棚から取り出されたものであり真贋の区別がついていません。
素直に信じるのは大変危険ではないでしょうか。
少なくともボトルメールについて犯行計画か、創作物かの2択であれば犯行計画書を取ることはできないと思うのです。
Confession of golden witch について
お恥ずかしながらConfession of golden witchのカケラがマンガ版で追加されたものだと今頃になって気づきました。
マンガ版EP8の6巻にあたる部分ですね。
今回はこれについての考察です。
このカケラは図書館で縁寿が見つけたものです。
保管されていたのはヱリカ曰く「ベアトリーチェのボトルメールと偽書の棚」とのこと。
タイトルはconfまで読めていたのでConfessionのカケラと考えて話を進めます。
このカケラを縁寿は手にしました。
中身を縁寿が見たかどうかは不明です。
ヱリカに話しかけられて見ていないとするのが自然でしょうか。
この後の物語で八城幾子がこのConfessionのボトルメールを手に入れています。
縁寿が瓶からカケラを出したために幾子が読めるようになったメタファーと考えると面白いかもしれません。
そして今回のポイントですが、この時点では幾子はまだ自分のボトルメールを書いていません。
つまり、幾子がボトルメールを書く際にこのカケラを参考にしている可能性があると言うことです。
このボトルメールについて幾子は
もしかすると近場に手の込んだ偽書作家がいるのかもしれません
はたまたこれは本物の犯人のメッセージボトルやも!
と語っています。
つまり判断つきかねている状態ですね。
縁寿がこのカケラを取り出した棚は「ベアトリーチェのボトルメールと偽書の棚」とのこと。
また、EP7で作者がわからないカケラも存在することが提示されていますね。
つまりこのカケラは本物の可能性も偽物の可能性もあります。
もしも幾子がこのconfessionのカケラを本物のボトルメールと判断していたらEP3以降のボトルメールはconfessionを前提として書かれるでしょう。
しかし、偽書と判断している可能性もあります。
(Confessionの)ボトルメールが本物で幾子も本物と判断した場合
ボトルメールが偽書で幾子は本物と判断した場合
ボトルメールが本物で幾子は偽書と判断した場合
ボトルメールが偽書で幾子も偽書と判断した場合
4通りの可能性がある訳ですね。
そして、この4通りの可能性からプレイヤーは選択しなければなりません。
confessionを信じてもいいでしょう。
しかし、confessionには否定されるべき要素も色々みられます。
EP8冒頭でベアトと縁寿のボトルメールについてのやり取りがありました。
ベアトはボトルメールをゲーム作成時の副産物と言いました。
縁寿はボトルメールを犯行計画書だと言いました。
二人の主張のどちらを信じるか。
Confessionは本物か偽書か。
幾子はボトルメールをどう判断したのか。
プレイヤーは自ら選択し、自由に考察することが許される構造になっていることがわかります。
私自身の選択は、以前からの主張通り
confessionのボトルメールは偽書と考えます。
その結果、うみねこのなく頃にと言う物語の結末へとつながります。
では、本来の安田紗代が書いたボトルメールはどうなるのでしょう。
物語の結末とは違う結末を持つボトルメール。
それがベアトのゲームの中に隠された第三の物語なのではないかと思うのです。
姉ベアトとは何者か?
姉ベアトの存在について、いままで漠然と「六軒島における使用人たちに恐れられている悪霊や魔女伝説の擬人化」のような存在と捉えていたんですが、ようやくはっきりと定義することができました。
なぜ姉なのか?
姉と言うのは先に生まれた存在です。
ボトルメール創作説によればベアトは創作物。つまり物語です。
で、あるのならば姉ベアトは先に生まれた物語。
安田紗代が以前に書いた物語と言うことになります。
雛ベアトが「碑文と黄金の魔女伝説をモチーフにした物語」であるのならば
姉ベアトは「悪食島の悪霊と黄金の魔女伝説をモチーフにした物語」ではないでしょうか。
姉ベアトの特徴は悪食島の悪霊と似通っていることは物語の中で言及されています。
ベアトのモデルを悪食島の悪霊の伝説より取った創作物が安田紗代の以前の創作物。
ベアトのモデルを自らとし、碑文と六軒島を舞台にしたミステリがボトルメールの舞台。
作品が違うのならばベアトリーチェが二人になるのも理解できます。
そして最後は雛ベアトは姉ベアトを理解して元のベアトのようになりました。
これは前作の内容を雛ベアトが取り込んだことを意味します。
では、その前作の内容とは何でしょうか?
それはモチーフとなった悪食島の悪霊を考察することでわかるでしょう。
そして、それは自説の「死体行動説」へとつながります。
姉ベアトはブレザー着用ですが、EP2に登場したベアトとの関連はどうなるのでしょうね。
検討項目です。
九羽鳥庵ベアトと金蔵の関係
以前にも記述したことがあるのですが、九羽鳥庵ベアトと金蔵の関係についてもう少し深く考察を進めてみました。
以前の考察のリビルドと追加です。
まず、起点とするのは「なぜ九羽鳥庵ベアトは右代宮家に迎え入れられないのか?」と言う疑問からです。
なぜ、19年前に夏妃に預けられた子供のように九羽鳥庵ベアトは右代宮家に迎え入れられなかったのでしょう?
また、19年前に子供と一緒に九羽鳥庵ベアトを迎え入れることはできなかったのでしょうか?
これに答えを返すのならば金蔵と金蔵の妻について考える必要があるでしょう。
例えば「金蔵は妻に対して遠慮があった」とおいてみてはどうでしょう。
金蔵にとって望まぬ結婚ではありましたが、妻に対して金蔵はどのような感情を抱いていたのでしょう。
なんだかんだ言って戦前に金蔵は妻との間に三人の子どもをもうけています。
九羽鳥庵に通う時も妻にはばれないように細心の注意を払っています。
金蔵は妻に対して、心底愛しているとは言えずとも、親愛の情ぐらいは抱いていたのではないでしょうか。
故に、妻を極力傷つけないように金蔵は行動していた。
金蔵の妻が存在する間は九羽鳥庵に住まうリーチェの娘を右代宮家に迎え入れることはできなかった。
リーチェと出会った後にも関わらず、楼座をもうけたのも浮気を疑う妻に対してのフォローだったのかもしれません。
ところがこの考え方ではおかしな点が出てきてしまいます。
冒頭にもあげていますが、19年前に子供と一緒に九羽鳥庵ベアトを迎え入れることはできなかったのか?と言う点です。
19年前の子どもを受け入れたと言うことは、この時点で金蔵の妻は死亡していたはずです。
それなら一緒に九羽鳥庵のベアトも迎え入れればよかったはず。
なんならいっそのこと後妻として迎えてもいいのです。
しかし、金蔵はそうしなかった。なぜか?
それはしなかったのではなく、できなかったのではないでしょうか。
19年前の子どもを受け入れた時点で九羽鳥庵のベアトは死んでしまっていたと考えたらどうでしょう。
つまり、時系列として九羽鳥庵のベアトと楼座が出会った後に19年前の子どもが右代宮家に預けられたのです。
【2019年1月4日追記 EP3には楼座の家出の原因に母に叱られてとありました。
楼座との出会いの時点で金蔵の妻はまだ生きているため迎え入れることはできませんでした】
楼座が九羽鳥庵のベアトに出会った時、ベアトは楼座の名乗った右代宮の名前に興味を示しました。
もしも、この時点で金蔵がベアトに対して過ちを犯していたのならベアトはこのような反応を示すでしょうか?
そして初めて出会った人間に対して心を開くでしょうか?
しかし、実際にはベアトは、楼座と楼座の話に興味を持ちました。
この様子を見ると、この時点では金蔵はベアトに対して過ちを犯していなかったとも考えられるのです。
そして、その後、ベアトは楼座に連れられ九羽鳥庵を離れ、崖から落ちるのです。
その際、楼座はベアトの様子を見ています。
頭が割れ、脳が出て死んでいました。これは赤字でも保証されます。
しかし、脳を破損して死んでいても、その肉体はどうでしょう?肉体の中の卵子は?遺伝情報は?
金蔵ならば、そう簡単にベアトをあきらめるとは思えません。
楼座はその後怒られるのではないかとおびえていました。
しかし、実際にはおとがめなし。
それは金蔵がそれどころではなかったことを示しています。
金蔵はベアトを救命するために忙しかったのでしょう。
そして、必死の対策を講じ、九羽鳥庵のベアトを蘇生させることはできませんでしたが、なんとか遺伝子を継ぐ存在を残すことができたと考えることができるのです。
娘にリーチェの面影を見た金蔵の犯した過ち、そして19年前の赤ん坊。
こう書かれると、金蔵が九羽鳥庵のベアトを犯し、子供を作ったように考えてしまいますが、実際にそのようなことがあったと言う直接的な言及はありません。
ここまでのように考えると、金蔵は娘に対して乱暴は働いていないとも言えるのです。
では、金蔵の犯した過ちとはなんでしょうか?
熊沢は
「女として
…九羽鳥庵のベアトリーチェさまのお心を
誰かに伝えねばと思っていました」
と語りました。
で、あるのならば金蔵の犯した過ちを考えるためにはベアトの心を考えなければなりません。
先述したとおり、楼座から右代宮の名前を聞いたベアトの反応は好意的なものでした。
ベアトは金蔵を嫌ってはいません。むしろ好意的です。
こう考えてはどうでしょう。
ベアトは金蔵に好意を抱いていた。
しかし、金蔵はベアトを通して別の女性を愛している。
ベアトは金蔵にアプローチをかけるも、金蔵は自分を見てくれていないことに気づいてしまう。
おそらく、金蔵はベアトのアプローチを拒んだ、もしくは受け入れたとしてもリーチェを見てしまったのでしょう。
そしてベアトは自分が何者か、悩んでしまったのでしょう。
それが次のベアトのセリフにつながります。
「皆は妾をベアトリーチェと呼ぶ
…それは確かに偉大なる魔女の名前らしい
しかしそれは妾ではないのだ
妾には魔法など使えぬ
妾はその魔女の魂をこの身に封じられているだけなのだ…
妾はもうベアトリーチェは嫌だ………」「妾が何者で
何のために生まれてきたのかを
知りたい
ベアトリーチェではない新しい人間を始めたい」「もう 紅茶もドレスもいらぬ
金蔵とも二度と会わぬ」「ここではない世界が見たい」
「金蔵とも二度と会わぬ」がポイント。
この会わぬは嫌いだから会わぬと言う意味ではありません。
これは好きな紅茶やドレスと並べて、好きなものを断ってでも変わりたいという決意の言葉です。
自分自身を愛してもらえないとわかった九羽鳥庵ベアトは自身のベアトリーチェと言うアイデンティティを取り払いたいと願いました。
これらのセリフはそう読み取ることができます。
楼座が怒られなかったのは金蔵がベアトリーチェの蘇生に忙しかったからと先述しました。
しかし、ここまでの考察より他の解釈を得ることができます。
それは金蔵が連れ出した人物を責めるより自分を責めていたからと言う可能性が生まれます。
自分の態度のためにベアトが外の世界に出る決意をしてしまったと。
金蔵の犯した過ちとは、九羽鳥庵ベアトにリーチェを重ねてしまい彼女自身を愛せなかったこと。
熊沢の言う「ベアトリーチェさまのお心」とは金蔵に対するベアト自身の恋心。
普通に読むと正反対の印象のシーンですが、細部を詰めるとこのような読み方をすることもできるのです。
どうか死者達の魂に安らぎを
ボトルメール創作説
以前の記事でも述べたのですが、EP7において安田紗代の恋愛のなれそめに注目することによって、
ボトルメールは安田紗代の書いたミステリ小説であり、読み手を失った作品を誰かの目にとまるように流した。と仮定することができます。
これが私の主張するボトルメール創作説です。
loosedogtom.hatenablog.com
ボトルメールとそれを基にしたベアトのゲームが、誰かに解いてもらうだけを目的としたミステリ小説ならば、戦人とワルギリアが語った
碑文が解かれようと解かれなかろうと、ベアトが何かを得ることはない。
恐怖を味わわせるのが目的ではありません。
誰かに復讐するためのものでもありません。
も納得することができます。
そして何より、各エピソードでのベアトリーチェの戦人に対する態度について理解することができるようになります。
ボトルメール創作説を基に私が考えるベアトの思考の変遷は以下のようになります。
EP1:「やった!戦人が来た! せっかく書いたミステリを読んでもらえる!」
「GMらしく魔女っぽくふるわなくちゃ! 戦人も魔女を否定して挑んでくれてる!」
EP2:「ほらほら、どう?すごいでしょ? こんなこともあんなこともできるよ!不思議でしょ?」
「わからないって苦しんでる! 楽しいでしょ? もっと考えて! もっともっともっと!」
EP3:「あれ? 戦人怒ってる? なんで?」
「あれ? …もしかして、ミステリだと思ってない?」
EP4:「戦人ぁ…。約束、覚えてない? ミステリだって気づいてないの?」
「戦人、ミステリだって気づいてなかった…。
せっかくがんばって書いたのに一人相撲だった…。
恥ずかしい…。死にたい。
いっそ殺して………。」
EP5:戦人「あああぁ! 殺人事件かと思ったらミステリのゲームだった!
ごめん! もう一回! もう一回やり直そう!」
こんな流れ。
冗談っぽく書いていますが、ベアトのテンションの高さや楽しそうな様子、怒られた後の態度などから考えると、非常にしっくりきます。
安田紗代やベアトの動機の根幹に失恋や復讐を置いて考える方も多いようですが、恋愛のなれそめを基に明るく考える視点があってもいいのではないでしょうか。
安田紗代の友人は何者か?
私はいわゆる人格説は否定派なのですが、 クレルの告白に出てくる安田紗代が紗音などのイマジナリーフレンドを作り出していたことは否定しません。
それを踏まえてですが、安田紗代がベアトリーチェと呼んだ礼拝堂で出会ったガァプの外見をした存在は何者なんでしょう。
すぐにモノを失くしてしまうヤスがその言い訳に作り出した別人格と考えることは容易です。
だけど、そう考えるとおかしいところも出てきてしまう。
ヤスは屋根裏部屋で”世界を変更”してベアトリーチェになりました。
もしも友人が別人格と呼ばれるものならその時点で友人は消えなくてはいけないはず。
ヤスが消えるのはわかります。
ヤスも安田紗代の人格の一人だからです。
安田紗代において なりたい自分のイメージが紗音。
現状の自分の弱い部分を自分から切り離したものがヤス。
こう考えると安田紗代が成長してイメージの紗音に近づいた時にヤスが不要になるからです。
不要になったヤスを新しい”なりたい自分”のベアトリーチェに変えることによって
なりたい自分のイメージがベアトリーチェ。
現状の自分が紗音。
こういった逆転現象が安田紗代の中に起きていると考えられます。
この逆転現象が起きた時に存在している”友人”はいったい何者なのでしょう。
安田紗代は熊沢の教えや友人の存在のおかげで物を失くすことがなくなりました。
始めに置いたように”物を失くす言い訳”としての存在はもうこの時点で不要になっているのです。
ヤスは友人をベアトリーチェと呼んでいました。
自身がベアトリーチェとなるのなら、この時に古いベアトリーチェは置き換えられて消えなくてはならない。
またはヤスがベアトリーチェになるように友人も他の何かに変わらなくてはならない。
だけど友人は何者でもない名無しの魔女として残った。
礼拝堂でのヤスと友人での出会いのシーンでは友人は名前をなのらず、ヤスが「ベアトリーチェ」と呼び掛けています。
友人は元々名無しで、元の鞘に戻ったと言えます。
これらを考えると友人は安田紗代の別人格などではなく、そもそもいたものと言えるのではないでしょうか。
そうなると、じゃあこいつはなんなんだという話になります。
もうね、素直に受け入れるべきなのではないかと思います。
こいつは使用人の間で噂されている怪談ばなしの正体なのではないかと。
EP7でウィルは朱志香に聞き取りを行っています。
そこで明かされた「真里亜の電話」「部屋から出て行った気配」。
他にも羽のエピソードの郷田が体験した厨房での現象。
使用人たちに噂されている怪現象。
ヤス自身が体験したものを失くす現象。
これらの正体がこの友人。
ロノウェ・ワルギリアは源次・熊沢がモデルと考えられます。
シエスタなど他のキャラにもモデルが存在します。
でもガァプにはモデルがいない。
南条と言われたりもしますが、共通点は見出しにくく、ただの消去法ですよね。
この友人が実在するならガァプのみモデルがいない問題が解決します。
名無しだった友人が、マリアージュソルシエールにて真里亜が名前を付けてガァプになった。
安田紗代や真里亜が魔女の姿をとっていますが、案外あのシーンは現実に沿ったシーンなのかもしれません。