Here is a witch's heart

07th Expantion様の「なく頃に」シリーズの考察を行っています。たまにブラウザゲーム「政剣マニフェスティア」についても言及するかもしれません。

読者が解答すべきことは何か?

うみねこのなく頃に」と言う物語において、明確に解答を求めてくるキャラクターが二人います。
1人はベアトリーチェ
もう一人は縁寿です。


ベアトリーチェは戦人に複数の物語を見せ、そこで起きた現象の説明を求めてきます。
縁寿は昭和60年の六軒島で起きた出来事の真実を求めています。


では、読者は何について解答すればいいのでしょうか?
本当に二人の問いに応えていいのでしょうか?


ベアトリーチェは理解を求めています。
解けることを前提にした問題を作り、その真意を探って欲しいと。
問題を解かれることが目的です。
ならば読者はそれに応えるのは自然なことでしょう。


さて、縁寿はどうでしょう。
なぜ、彼女は昭和60年の真実を求めているのかを考える必要があります。
縁寿が昭和60年の真実を求めるのは、家族を取り戻したいと言う目的のための経過です。
では、読者としては彼女の問いに答えることは本当に彼女の目的に沿う行為なのでしょうか?


作中の描写より、当時六軒島に居た人物は(絵羽を除き)全て死んでしまう。
六軒島には黄金があった、これを巡って一悶着あったかもしれない。
これらがほの暗く明かされています。
これの詳細を詰めてはっきりさせしまうことが縁寿にとっていいことなのでしょうか?


六軒島の爆発事故以前に複数のボトルメールが流されました。
それらは「偶然」にも、爆発事故と時を同じくして物語が終わる内容でした。
本来、一つの世界に、同じ時間の出来事は一つしか存在できません。
しかし、ボトルメールの存在と爆発によって、六軒島は猫箱となり、複数の可能性が存在するようになってしまいました。
昭和60年の六軒島の真実を明かすことはこの複数の可能性を収束させると言うことでもあります。

この物語にハッピーエンドは与えない」と言う赤字が存在します。
確かに、物語を読み解けば最終的にハッピーエンドにはなりそうもありません。
しかし、猫箱となって複数の可能性が存在する六軒島なら、ハッピーエンドになる可能性を「作る」ことができるのです。
与えられないのならば作ればいいのです。
縁寿が納得するような六軒島の物語を。
そのためには、真実を見つけるという行為は六軒島の可能性が収束してしまうのでNGになってしまいます。


EP8では山羊が大挙して黄金郷に押し寄せ、キャラクターたちと戦いました。
当時は山羊=考察者ととらえた人たちによってうみねこが叩かれる要因になりましたが、
上記の考えを発展させれば六軒島の真実を明かすことは、
幻想キャラは自己の存在の否定になるし、右代宮家の人間も不名誉なことになるし、なにより縁寿の希望がなくなるしで、キャラクターたちが抵抗するのは当たり前の流れになります。


・昭和60年の真実は明かさなくていい
・ハッピーエンドが与えられないのなら作ればいい


これが、私なりの魔法エンドの理解です。