Here is a witch's heart

07th Expantion様の「なく頃に」シリーズの考察を行っています。たまにブラウザゲーム「政剣マニフェスティア」についても言及するかもしれません。

自分の常識はボトルメールの常識と同じものか?

前回の記事でEP6ロジックエラー密室のクローゼットからの嘉音消失のトリックを
「蜘蛛の巣を押し付けて消失」としました。

loosedogtom.hatenablog.com

正直かなり無理のある説のように見えます。


なぜ、蜘蛛の巣で体が消えるのか。
なぜ、一緒に来ていた服まで消えるのか。
なぜ、後から着込んだ雨合羽は残るのか。


常識的に考えればかなり無理がある話でしょう。物理的にありえない。これは魔法ではないのか。
私自身、この説を飲み込んで腹落ちさせるまで年単位で時間をかけました。


しかし、ある時一つの思い付きから、ふっと納得がいったのです。
その思い付きがこれです。


誰がボトルメールを書いたのか?」


ボトルメールを書いたのは安田紗代です。
私の考えではボトルメールは戦人に読ませて推理を楽しむために書かれたものです。


私は私の常識で嘉音消失のトリックに苦しんでいましたが、さて、ボトルメールの作者の常識と私の常識は同じ常識なのでしょうか。


EP7でヤスの視点から安田紗代の半生が描かれています。
安田紗代は学校には通っていましたが、生活のメインは六軒島での使用人生活でした。
年齢も3つぐらい詐称していたようですね。
また、想像を楽しむ癖があり、魔女や魔法にあこがれていました。
ボトルメールはそんな彼女が書いたものです。


ざっと考えて戦人が右代宮家を去った時の安田紗代の年齢は13~16歳ぐらいでしょうか。
学力的にはさらにマイナス3歳です。
そんな彼女が描いたものなら物理法則よりも自分が設定した法則を優先してもおかしくないのではないか。
そう考えた時、ようやく腹落ちすることができました。


自分の常識で物事を否定してはいけないのです。
相手がどのような常識でこちらに語り掛けているかを考えることが大事だったのです。


このようなシーンはこのトリックだけではありません。
EP3で死を嘲笑うベアトに戦人は激怒します。
しかし、EP5を経て戦人はベアトを許すことができます。


これも、お互いの常識、認識が食い違っていた結果でしょう。
戦人は見せられたボトルメールを事件当日の真実と思い、それを嘲笑うベアトに対して怒った。
しかし、ベアトのボトルメールは戦人を楽しませるために書かれたミステリ小説だった。
それを理解した戦人はベアトを許すことができたのではないでしょうか。


そもそも安田紗代は家族や親類縁者がおらず、人の死と言うものを知る機会が少なかったと推測できます。
その中で人が死ぬことによってエンターテイメントが成り立つミステリ小説を好んで読むようになった。
なるほど、ベアトが人が死ぬシーンで喜ぶ気持ちがわからなくもないですね。
ベアトは人の死を軽んじている。


確かに私もミステリを読んでいて楽しい瞬間は、犠牲者がでてこれから謎解きが始まるぞ、と言う時のような気がします。
しかし、これは外からミステリとわからずに見ている人にとっては確かに不謹慎なものでしょう。


人を愛する時はその相手の理解が必要になるでしょう。
理解がないのであればそれはただの恋です。



愛がなければ見えない。
解釈はいくつもできませんが、その内の一つに相手を「理解すること」を入れてもいいのではないでしょうか。