魔女幻想を過信しない
EP3にてワルギリアは戦人に、ベアトとの戦い方としていわゆる「猫箱」などと言われる物語の修正について説明しました。
テレビのブラウン管の構造を例として挙げられたあれですね。
私はその修正部を「魔女幻想」と呼んでいましたが、皆さんはいかがでしょうか。
今後このブログでは「魔女幻想」「猫箱」などと呼んでいきたいと思います。
さて、この魔女幻想ですが戦人だけではなくプレイヤーにも大きな力を与えました。
なにせ現実では起こりえない部分は魔女幻想として自分なりの勝手な解釈を与えることができるようになったからです。
ですが、本当にそれでいいのでしょうか?
作中には魔女幻想の様でいて、実は魔女幻想でない部分もあるかもしれません。
例えばEP2にて紗音や郷田たちを嘉音が襲撃してきたシーン。
本来死んでいると赤字で宣言された嘉音が異常な発言をしながら襲ってくるのですから魔女幻想としてなかったことにしたくなるのもわかります。
ワルギリアの説明では、ブラウン管の中身は誰にもわからない。
そのため、ブラウン管の中身を魔法で説明するのがベアトであり、
戦人はそれを魔法以外で説明することが求められるというのが私の魔女幻想への理解です。
先ほどの嘉音襲撃のシーンで言えば「死んだはずの嘉音が襲ってきた」と言うのがベアトリーチェの主張であり、戦人とプレイヤーはなんらかの理屈をつけてこのシーンに別の説明をしなければなりません。
ですが、この嘉音襲撃のシーン。本当に魔女幻想としていいのでしょうか?
なぜならこのシーンには目撃者が生存しているのです。
紗音、郷田、源治は嘉音を撃退し、なおかつ探偵役である戦人に報告しているのです。
ブラウン管の中身はわからないからこそ、そこに様々な主張をする可能性が生まれます。
しかし、中身を知っているものがいてはその可能性はなくなってしまいます。
では、この嘉音襲撃のシーンはどう扱えばいいのでしょう。
私にあげられるのは3つほどです。
・実際に起きたこと
・紗音、郷田、源治の共通認識(口裏あわせ)
・紗音、郷田、源治が同じ誤認や幻覚を見た
このように無限の可能性を持つ魔女幻想をかなりしぼりこむことができました。
ここからそれぞれを検討してさらに絞り込むことも考察の方法としてはありですが、
今回はそれをいたしません。
ここでわかることは紗音、郷田、源治は嘉音襲撃があったという認識でいると言うことです。