「うみねこのなく頃に」考察について
早いもので「うみねこのなく頃に」もEP1が発売されてから10年以上経過しました。
私は当時からリアルタイムでうみねこをプレイし、今もゲーム本体を立ち上げることはありませんが、考察を続けていると言う意味ではいまだにうみねこをプレイし続けています。
「今更何を?!」と思われる方もおられるかもしれませんが、さすがは無限の魔女が作り上げたゲーム盤。いまだに気づかされることが多々あります。
そんな「気づき」を皆様におすそ分けしたくてこのブログを立ち上げました。
さて、ここで「うみねこのなく頃に」考察に対する当ブログの立ち位置を説明させていただきたいと思います。
EP5以降の「うみねこのなく頃に 散」によって、六軒島に隠されていた多くの事実が明かされました。
しかし、その事実に色々なものが付随しており正しく真実を描写しているとは言えないと私は考えています。
直球で言えば、EP7,8で示された「紗音」「嘉音」(ベアトリーチェ)同一人物説は全ての真実とは言えず、EP1~4のボトルメールに満足のいく説明を成すことができないと言うことです。
C81頒布作品同時予約特典小冊子「我らの告白」の文末にてドラノールが独白しています。
しかし、もし可能ならば。この物語の一番底に秘められた、彼女の思いに至って欲しい。彼女はこの物語を、2つ描き、1つしか公開しないと言った。しかし、本当はそれも違う。3つ描き、1つしか公開しない物語なのだ。この未完成原稿によって、その3つの内の2つまでが晒された。最後の1つは、どうかあなた一人の力で辿り着いて欲しい。それが、同じ女として、これを読む諸賢に強く願いたいことである。
ベアトリーチェは物語を「3つ」書いていると。
私はこれを
1つは人々の目に触れたボトルメール
1つは真相を隠すためのダミートリックによるカバーストーリー
1つは本当のトリックを使った真のストーリー
と受け取りました。
このダミートリックが「同一人物説」だといえるでしょう。
このブログでは上記より、「同一人物説」以外のトリックがうみねこで使われている、と言う考えで考察を進めていきます。
その結果、皆さんに新しい視点からのトリックを提供することができるでしょう。
また、いくつかのEPではそのトリックを使って犯人側の視点からの解説を行うこともできます。
更には不幸な登場人物「クレル」を救済することもできるかもしれません。
つたない文章で恐縮ですが、皆さんに新しい「うみねこのなく頃に」の結末をお届けできるようがんばっていきたいと思います。